cocotiの手前の信号で、地下通路から出た瞬間に煙草の吸殻がふやけている黒い水たまりを踏み抜く。確実に進行する病魔のように、まちがいなく着実に湿っていく爪先の感触は最悪で、軽くため息をついた。

 霧雨を浴びながら高校の玄関を抜けて踊り場へ。とうに授業は始まっている。途中入室するのが嫌でたまらない。できるだけ時間稼ぎになるように、それでいて体感としても足が重く、牛の歩みで階段を昇る。自動販売機の振って飲むゼリーが飲みたいような気分になる。あれを飲みながらぼんやりしているとどこからかやってきて構ってくれる現業の掃除のおばちゃんも大好きだけど、他人と話して楽しくなれるほど心の余裕がある状態ではない。ぼろきれのように疲れている身体を休めたい。私はどこにも行けない。

 学年のフロアに来たが、とりあえず、洗面所に行ってみる。この学校のトイレにはドアがなく廊下と一続きで開放感がある上、たとえ授業中であっても誰か(特に先生!)が入ってくる可能性があり、ちっとも気が休まらない。鞄を降ろしながら見た鏡の中の気怠げな表情は全くいつも通りの私で、今は極度に疲れているために何もしたくない、などとは誰にも気付いてもらえず分かってもらえないだろうと納得した。毎日この調子だものな。救いの手を待ち望んでいても、それが外界から訪れる限り、私の真に望むものではありえないのだろう。汚水に侵された靴下を脱ぎ、捲ったスカートを腕で押さえながら汚い都会の臭いを発する足を洗う。この瞬間に誰か入ってくれば、腰の高さほどある洗面台に足を突っ込んでいる姿を見られて、最悪に最悪の上塗りをすることになるが、このような想像をすること自体はそこまで嫌いではない(なぜなら恐らく誰も来ないであろうから)。緑の液体石鹸のおかげで足の嫌な感じがなくなり、しかし蒸れると分かっていて素足のまま汚い革靴を履く。トイレを出て、ロッカーから教科書やノートを取り出し(開閉音が廊下に響く)、教室の様子を伺いながら逡巡の末入室する。

「ハセガワさんね。おはよう」

 女性教師が名前を呼ぶのを苦虫を噛み潰す思いで聞く。おはようございますと返事をしたかったが、耳で聞いた自分の声は「ざす……」だった。

遅延証明書ある?」

 そっとしておいてくれよという殺意に似た気持ちを味わいながら答える。

「や、ないっす」

 生徒に作業させている時間に入室したのが間違いだったのだろうか。いやしかし、きっと講義中に入ってきても彼女は私に世話を焼いてこのようにあれこれ世話を焼くに違いない。そういう先生だからだ。放っておいてくれればいいのに。

「あらそう。分かりました」

 出席簿に遅刻のバツ印。気分は最低だが、最低のカンバセイションが終われば後は回復していくだけである。そう信じたい。

 

 授業開始直後にあった小テストが白紙のまま自席に伏している。この点数の合計が学期末の評価に響くので、こうやって遅刻したり欠席したりするたびに評定が落ちていく。でも校外模試を受ければ、学内上位10%には当然入るので、不名誉以上のものを感じることはない。定期考査の点数も模試の結果も隠さない私は、教室中の人々が点数の書かれた紙の端を折って隠す様子を鑑みれば、きっと知らないところにヘイトを売っているのだろう。でも私はそれらの対価を受け取らない。気前が良いので売りっぱなしである。というよりは、結局の所、私は自分にしか興味がないので、自分からの評価で手一杯で、他者からもたらされる価値観に何の判断もできない。

 

 なんて言っちゃってさ。本当は誰より他人からの評価を求めているくせに。

 あの頃からずっと何も変わらない。