前略

不安で息苦しいのはちゃんと文章化しないといけないのかなって。君も表だってとやかく言うことはないだろうけれど*1きっと何かと苦しんでいるか、苦しむ感受性を損なっているかしているのだと推測しています。よってささやかながら私は少し語ろう。ひとりよがりだけれど苦しんでいることを知ってもらえればと思っています。

早二週間が経つけれど君はちゃんと元通りのペースを取り戻せたのでしょうか。きっとそうだよね。人よりずっとしっかりしているから計画も立てて、ちゃんとその通りに行動していることと思います。私もあと十日で唯一受験する私立の入試があるけれど、君はもっと多くの学校を受けて、それだけ分いろいろな過去問を解いて学校に応じて対策しなきゃいけないから大変だよね。それに比べれば後は二回しか受験しなくていい私はすごく楽なのでしょう。
世の中、忙しい方が時間の貴重性を身に染みて感じられるから効率的に行動できる人たちがいます。目標が目前になくて、遠くで待ち構えているように思われるとき、私は急ぐことができません。夕飯の支度も出来ていないのに明日の朝食のことを議論していても仕方ないのでは、と思うのです。そういった人種である私は、君のように計画的に行動した前例がなくうまく身の振り方を考える方法を知らないのです。前例がないのなら我武者羅にでもやればいいのに。私もそう思います。でも、どうやら完璧主義の私は試行錯誤とか、泥臭い努力を厭うみたいで、前も見えずに底なし沼に嵌っていっているかもしれないのに自分が前だと信じる方向へ進んでいくとき、こんなに苦しくては生きている意味なんてないんじゃないかだなんて愚かしいことを考えます。プライドが高すぎるのです。愚かで怠け者の私でもどうにかなるようなものなのでしょうか、今私たちが立ち向かうものは。

作り話をします。昔々あるところに、いや、多分つい五年くらい前なのだろうけれど、渋谷にあるのか千葉にあるのかわからないような名前をした中学校を受けた小六の女の子がいました。どうせ落ちるのだろうし記念受験でもいいや、雰囲気だけでも楽しめればいいなと思って臨み、入試が終わったら最寄駅のゲーセンで日が暮れるまで遊びました。二月一日の本命校よりも偏差値の高いその学校に彼女は合格し、がちがちに緊張して受けた本命と二日は落ちました。受かればいいやなんでも、と思って受けた三日目の学校に結局行ったみたいなのですが、いいやどうでも、と思った瞬間受かるみたいなのです。
でかいチャンスを目の前にしてビビらず平常心であることが最も大切なのだと実感しています。君も怖いと思います。怖いのはみんな一緒だよね?
齢十八*2の若者に自分の将来を決めろという社会も酷かもしれませんが、中卒で働いてしまえば十四、十五で人生を決めなくてはいけないわけです。昔の女性は初潮が始まった瞬間から結婚相手を探され十五くらいで身を固めさせられていたのですから、むしろ今の教育制度の方がゆとりがあるのだと思います。ただその余裕が切羽詰ってないと頑張れない人に適合しないだけです。だから目の前に迫っているこの感覚は実に小気味良いものではある一方で、この選択によって自分の人生が少なからず決まってしまうのだろうという、可能性の大殺戮から逃げられないことが少し息苦しいのです。若さとは未経験と傷の治りの早さとなんといっても可能性から成っています。自分の若さを奪われるような、被害者意識が少しあります。放っておいても無くなるものなのに、いっぺんに失ったところでどうなるということはないはずなのに、どうしても惜しく感じてしまいます。

いつだったか前、君は生きる意味がないからさっさとこの世から退場したいと言っていた気がします。死の前では何もかも無意味です。私は最近よく死を想います。死ぬことの絶対性が与えてくれる絶望に、安心するのです。どんな成功も、失敗も無に帰するはずのものに。多くの人を巻き込んだ事業は、歴史として語り継がれるものもあるかもしれません。それが何世紀に渡ったところで人間というのはいつしか滅びるのです。始まりがあれば必ず終わりがあります。その大きなサイクルから見ると、私たちの矮小さが浮き彫りになって、けだるいような、落ち着くような妙な気分になるのです。テンションが上がりすぎて地に足がついていないよりはずっとましですが、ひょっとすると目に見えない内的な異常たちこそ警戒するべきものなのかもしれません。とはいえ、不可視なものは後日その痕跡を探るしか手立てはなく、未然に防ぐことは大変難しいです。

そういえば、さまざまな大会の前には、よく先輩がストラクチャーとかマナーとか全然気にしなくていいからとにかく楽しもう、と仰ってくださったのを思い出します。当時は本当に任された仕事をマネージするのに精いっぱいで自分の能力を限界まで使っていたからよくわからなかったけれど、きちんと発揮できるはずの力がある今、その言葉が痛く響くのを、君はわかってくれるはずです。あのころと今では全然違う世界に来てしまったなと思うけれど後悔はしてないし全てが私の糧になった確信があります。きっとこの瞬間も未来から見れば糧になってくれることでしょう。

先が見えていることは鎖であり救いです。何をしようと変わりなく、いかなる人的努力も僅少な効果に終わります。ですが細胞も顕微鏡では大きく見えるものです。無力な私たちが些細なことであろうが何かを為せる第一歩なのです。自分に今できることを精一杯して、信じる以外ありません。私よりずっと達観していながら正気を保っている君は今に素敵なことをやってのけることでしょう。それを楽しみにしています。
走り書きでまともに読み直してもいないから読みにくいかもしれません。ごめんね。お互い健康に気を付けましょう。あと少しの辛抱です。また遊びましょう。

草々

*1:私みたいに

*2:私は十七のまま三月を迎えますが