Ignorance is the mother of all evil.
 
 仄暗い洞窟でただ夜明けを待っている。月以外に光を放つものなどない闇の中、やっとの思いで辿り着いた夜露をしのげる場所でぼんやりと座っている。妙な安堵感、それによって増す恐怖。底知れない不安感。自分以外には誰もいないのだということ。お月様がとても近く見えて、手を伸ばすけれど届く訳もない所作を何度も繰り返す。座った土の表は固く冷たくでこぼこしていて眠たいのに眠れない。疲労感が意識を闇に引きずり込むくせに目は冴えている。寒くて震えてもここには布団も況してや温かく包み込んでくれる人もない。ただひたすらに時間が過ぎていくのを教えてくれるのはたなびく雲ばかり。月に照らされて輝くのも見飽きるほど見ていた。それでも美しい。涼しすぎる気候のお陰だと、幸運だと言い聞かせる。
 感傷。口元を覆えば草の香りがする。有機的。息衝くものたちの存在を感じる。私は君の匂いを思い出す。
 膝を抱えて目を閉じる。虫の声が騒がしい。このまま眠れてしまえばよいのに。外気に触れる面積が小さくなりほんの少しだけ寒くなくなる。そうするとまたほんの少しだけおそろしくなって目を開けて、映るものを視る。月が眩しい。その存在の大きさは暗闇でないと分からない。月光は太陽の反射光だから、いったい太陽とはどれだけの存在だろう。月光を浴びるこの身もちりちりと焦がれるようだ。再び顔を埋めて目を閉じた。身の毛がよだつけれど目を閉じ続けないと眠れない。起きていても徒に体力を消耗するだけなんだから、ちゃんと寝ないと。
 身体が凝り固まっているのか居心地が悪い。肩を回すとばきばき音がした。まだきっと眠れないんだ。絶望が頭をかすめる。いいえ、もう帰れないってことではないのだから正しくない。無になれ、考えるなと念じる。考えなくていい、思考に言葉は必ずしも必要ない。
 ぎゅっと抱きしめられているかのようなのに私は君の笑顔を瞼に視た。なにもないまっしろなひろい部屋に寝転んで他愛のない話をし合っている。その幸福なひとときを想起した。その頬に春のうららかな陽光のような微笑みが差す。そのぬくもりはここにはない。かつては届いたが、今はもはや届かない。何もかもが遠い。絡ませた指をどうして解くことが出来よう。その光源との微かなリンクを私だけは信じている。乳白色の混濁した世界ではモノは形をなくし、輪郭は失われ、すべてが融解していく。
 忘れよう。なにもかも。