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シヲリは会話にぎこちなさを感じていた。テーブルの向こう側に座っているひとの顔がぐにゃぐにゃして見えるのだった。たあいのない話にへらへら笑い、自分もまた日常の話をするという、つまらないやり取りがたまらなく楽しかったのに、今は自分が何も話せないのを知っていた。シヲリは、飢えていた。自分が何かを理解していることを認識したかった。何かを説明できることは、その何かを理解していることをentailする。シヲリは何も語ることができなかった。何も自分は知らないのではないかと思った。マクドのサイズフリー百円で買える炭酸は砂糖水のくせに苦く感じた。歯車が噛み合わない、と思った。シヲリは狂っているのは会話の歯車ではなく自分自身の認知の歯車だということを知った。眼はうつろで、目薬を差してもさっぱり何も変わらなかった。それは目薬が200円もしないからではないと思う。シヲリの血液の循環がおかしいからだと思った。もっともっと、血液がごうごうナイル川のように流れてくれれば、私の思考もずっとずっとクリアになって、バイカル湖のように透き通るはずだと思った。ずっとずっと先を見通したいと思った。なのに身の回りをとりまく些細な一場面すら説明することができなかった。ストローは弾力が弱く噛み潰せば戻らなかった。いにゃいにゃと口にくわえている間に目の前に座っているひとは変顔をするのでシヲリはむかむかした。さっぱりおもしろいと思えない自分にむかむかしたのだった。
なんで最近変顔するの。
手持ち無沙汰だから。シヲリは何も話してくれないし。
全く以てその通りだ。シヲリは何も話してくれない。シヲリは自らに問いかける。シヲリは何を話すのか。何も話せないのは何故か。日常が空虚だからか。いいえ、日常は空虚どころかすべきことが目白押しでほとほと困り果てているほどだ。それでは考える余裕がないのかと自問した。いいえ、私は何も考えてすらいない。思考のリソースは有り余るべきだ。それなのに空きメモリは不足していて、ああ、それでは断片化しているのだろう、今日はゆっくりお風呂に入って眠りに就いてデフラグしよう、それがいいと提案された。そうだね。シヲリは瞬きを繰り返した。家に帰ったらアレルギー用の目薬を差そう。あれは1500円くらいしてとても高いのだ。きっとそれなら今の私にもよく効くだろう。そんな胡乱な思考をする自分を笑ってシヲリは眼を伏せるのだった。